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旧モーガン邸

旧モーガン邸とは

藤沢市大鋸に昭和6年に建てられた建築家J.H.モーガンの旧邸

スパニッシュスタイルの要素を取り入れた外観に和洋折衷の室内

を持つこの家は、建築家の自邸としてだけでなく湘南地域に分布

する昭和初期の別荘や邸宅の中にあって住宅史的にも文化史的に

価値のある建物です。

モーガン亡き後何人かの手に渡りましたが、

最後の所有者が負債を抱えたため、㈱整理回収機構の管理下で

債権処理の対象になっていました。

1999年11月23日「旧モーガン邸を守る会」結成

この建物の存在と価値を広め、緑豊かな環境と共に保存し活用したいと願い活動しました。

6年間の活動が実り、2005年8月藤沢市と(公財)日本ナショナルトラストによって取得され、復原改修後一般公開されることになっていました。

ところが2007年5月、2008年1月

二度の火災に遭いかなりの損傷を受けてしまいました。

しかし、玄関や暖炉、床、地下室などは残っており、修復再生をめざして募金活動「オレンジ瓦プロジェクト」を立ち上げました。旧モーガン邸は保護のための覆い屋の中で再生の日を待っています。

2021年3月

旧モーガン邸は(公財)日本ナショナルトラストから(公社)横浜歴史資産調査会に譲渡され再建をめざして新たな船出をしました。

毎月の庭園清掃と公開で多くの皆さんにこの場所の歴史と文化を楽しんでいただき、ボランティア活動で維持管理しながら、再生活用をめざして募金活動を続けつつ再建構想を練っています。

旧モーガン邸

建築家J.H.モーガン

旧モーガン邸 J .Hモーガン

アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー市生まれのモーガンは、

建築家としてアメリカで活躍した後、大正9年(1920)に日本フラー建設会社の設計技師長として来日し、東京・丸ビル・日本郵政ビルなどの建設に携わりました。

大正11年(1922)に独立し、事務所を開設

大正15年には横浜市山下町の旧露亜銀行内に事務所を移し、関東大震災で壊滅的被害を受けた横浜の震災復興を手掛けました。

昭和3年、自身の設計によるユニオンビルディングに事務所を移し

銀行・オフィス・学校・教会・病院・住宅と全国で手がけた建物のうち半分は横浜に建てられています。そのため横浜最後の居留地建設家とも言われています。

私生活でも、日本家屋に住み普段着も着物で過ごすなど日本の文化を積極的に取り入れていきました。そこには一人の日本人女性

石井たまのの影響がありました。

来日直後に出会い、英語が堪能だったたまのに惹かれたモーガンは、彼女を通して日本人と日本文化に馴染んでいったのです。

昭和6年に藤沢市大鋸の丘の上に自邸を建てて移りました。

交通の便がよく眺めの良い藤沢の自宅での田園生活を楽しんでいたモーガンは、昭和12年(1937)6月6日肺炎のためゼネラルホスピタル(モーガン設計)で亡くなりました。

葬儀は山手聖公会(モーガン設計)で執り行われ、山手外国人墓地に眠っています。

山手外国人墓地の正面もモーガンの設計とのことです。

 

モーガンの作品は仙台・軽井沢・東京・横浜・神戸・松山に現存しており、自宅以外に12件あります。

モーガンは知らなくても、建物は皆さんに親しまれているものばかりです。数少ないモーガン作品が使われ続ける建物として残ることを願っています。

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